ここで大きな転機が訪れる。1980年、当時一部で非常に人気を集めていた漫画『じゃりン子チエ』の映画化の企画が持ち込まれた。高畑は当初、この企画が『吉本興業』の肝いりで、声優に吉本の芸人を使わなければならないこと、公開予定が決まっており制作期間が短いこと、原作の漫画を読んだが、今一つ面白さが理解できなかったことなどがあり、当初は難色を示していた。しかし研究熱心な高畑は、いつものように原作の舞台である大阪の下町に出かけていき、そこでこの原作で描かれている内容が非常にリアルで緻密に描かれていることに感じ入り、そこで始めて原作の面白さを理解し、監督を引き受ける。 1981年に公開された映画は、非常に制約の多い中で制作されたにもかかわらず、完成度は高く興行的にも成功した。その後、映画の好評を受けてTV版が制作されることになり、再び高畑の元へと依頼が来る。この時、高畑は引き受ける条件として、映画版で主役・竹本チエを務めた中山千夏、準主役・竹本テツを務めた西川のりおを起用すること、それ以外の声優に関しても、ナチュラルな大阪弁が話せる声優を起用すること、というかなり厳しい条件を出したが、制作側がその条件を呑み、チーフプロデューサーを務めることとなった。

この『じゃりン子チエ』における西川のりおの怪演は、アニメ界における一つの伝説と言える。台本を無視してアドリブを連発し、スタッフや共演者が笑ってしまい、NGになることは日常茶飯事で、アドリブが行きすぎ、アニメの画面とシンクロしなくなるということもしばしばあった。実際、アドリブがあまりにも面白かったため、作画をそれに合わせて作り直すと言うことまであった。声優経験がなかった西川のりおの演技に高畑は感じ入り、本作以降の作品では声優の経験のない人間を積極的に作品に起用するようになった。また、その影響は宮崎駿の作品にまで及ぶこととなる。高畑自身、この作品を非常に気に入っており、別名を使ってコンテを切ったり演出をしている。その時に使っていた別名は、本作で西川のりおが演じた竹本テツをもじった「武元哲」であり、本作への思い入れの強さを伺わせる。